16Nov

数年ぶりにレナード・ジェイコブソン氏のリトリート動画を観ています。
数々の貴重な叡智が収められている動画です、その中で今改めて私が重要だと思った部分をシェアしたいと思います。
内容はレナードが彼自身の言葉で語ったものを、私が日本語へ置き換えたものです。
出来るだけわかりやすい日本語で伝えられるようと心がけました。
- その1
- その2
- その3
- その4
レナードの教えの中では、「ストーリー(story)」という言葉がとても頻繁に使われます。
この言葉を正しく理解出来なければ、レナードの教えを理解することが出来ません。
この言葉を、一番簡単にわかりやすく日本語に置き換えるとすれば、「幻想」という言葉になるかと思います。
私たち人間は、意識が完全に覚醒するまでは、誰しも「ストーリー(幻想)」の中に棲んでいて、あたかもそれが「現実」であるかのように錯覚しています。
ストーリー(幻想)とは何かの例を出してみたいと思います。
A男さんのストーリー(幻想)
僕は子供の頃から自信がなく、何をやっても人並みに出来るという気がしませんでした。
父は質実剛健な人で、引っ込み思案でシャイな僕を、息子として好きではなかったと思います。
運動は苦手ですし、クラスの中でも目立つ子供ではなかったです。
僕は一生懸命に勉強をして、少しでも自信をつけられるように、何とか国立大学を卒業しました。
その辺りから、少しは自分に自信がついたように思います。
会社に就職が決まったあたりから、父ともなんとか気おくれせずに話せるようになってきたという自覚があります。
自分もやれば出来るんだってことが、何となくわかって。
その後、今の妻と出会って結婚し、子供が生まれました。
一般的に観ればまずまずの生活だと思いますし、幸せだと思います。
でもなぜかどうしても、「今の僕では足りない、もっと何かやるべきことがあるんじゃないか」っていう漠然とした不安がぬぐえないんです。
仕事でもっと評価してもらえるように頑張ったり、思い切って転職しようかとも考えています。
ここに書かれているすべてが、ストーリー(幻想)です。
レナードが教えているアウェイクニングでは、こうしたストーリーから完全に解放され、「今この瞬間」に根差した在り方を立脚することで、「本当」の自分」へと目覚めていくことを主軸としています。
プレゼンスが深まれば深まるほど、ストーリーに巻き込まれずに、「覚醒した意識体としての自分」でいられる時間が増えて来ます。
すると、人生の中でもよりよい選択が出来るようになり、ストーリーに振り回されずに済むようになってきます。
だけど、人間はどうしてこうもストーリーを手放したくないものなのか?
という質問が、リトリートの間に出て来ました。
以下はレナードの回答です。
1.私たちはストーリーに慣れ親しんでいるから
私たち人間は、自分がよく知っているものに対しては安心感を抱き、未知のものには恐れを抱く生き物です。
慣れ親しんだストーリーがどれほど苦痛に満ちたものであったとしても、まったく知らないプレゼンスの世界へ足を踏み入れるよりも、痛みの中に留まる方を選ぶのです。
未知の世界に対する恐れは、それほどまでに強いのです。
2. 頑なだから
私たちは、どうやっても「ストーリー(幻想)」から目覚めようとはせず、代わりに「ストーリー(幻想)」を「良くしよう」と躍起になります。
今見ている夢が悪夢だとしたら、悪夢を良い夢に変えようとするのです。
そうすれば、自分は「幸せ」になれると信じているのです。
※ 訳者注釈:上のA男さんがその良い例です。「父親に認められない自分」「ありのままの自分では愛されない」という「ストーリー(幻想)」がまずあります。このストーリーは痛みに満ちています。そこで、そのストーリー(幻想)の中で、「どうすれば父親に認められるのか」「どういう自分なら愛してもらえるのか」を求め続けて、「努力」を続けます。ストーリーの内容を良くしようとトライし続ける人生です。そうすれば「いつか」きっと、幸せになれると信じて。でも、そこには心の安らぎはありません。本当の解放は、「父親に認められない」「ありのままの自分では愛されない」という「思い込み」に気づき、それを手放し、「ありのままの自分を愛せない」のは父親の問題であること、自分の問題ではあり得ないことをしっかりと認識し、「父親から認められよう、愛されよう」とする執着と期待を根こそぎ手放すことでしか得られないのです。
上に挙げた二つの他に、もっと沢山ストーリーを手放したくない理由はあります。
究極的に、ストーリーとは「過去の記憶」によって構成されているものに過ぎない。
そして「過去の記憶」は、正確ではあり得ないのです。
私たち人間の「記憶」は、常にとても歪められています。
歪められて「記憶に残ったもの」の集積体がパターンを形成し、そのパターンがストーリーを紡ぎ出すのです。
- 私は愛されない
- 私は何をやってもダメ
- 私は悪い子
- 誰も私の気持ちわかってくれない
- 私は独りぼっち
こうした思い込みを元にして、ストーリーが展開していくのです。
私たちは、「過去に起こった出来事」を変えることは出来ません。
例えば、とても残念なことではありますが、幼少期に虐待を受けた経験を持つ人は、その事実を変えることは出来ないのです。
あなたの魂の進化の過程で、そのような経験を必要としていたのです。
それは受け入れるより他ありません。
ですが、私たちはその痛みと傷を「癒す」ことが出来ます。
まさにそれこそが魂の進化に必要なことであり、魂がはまり込んでしまった「虐待のサイクル」から足を洗い、生まれ変わった自分として今の人生を生きることで、魂には根本的な変容がもたらされるのです。
そうした「魂の課題」が、誰の人生においても、盛り込まれているのです。
レナード・ジェイコブソン