30Nov

ティール・スワンの動画に「局所麻酔としてスピリチュアリティを乱用するケース」について解説したものがありますのでシェアします。
私は、「局所麻酔としてのスピリチュアリティ」を完全に駆逐しろと提唱しているのでしょうか?
そうではありません。
そうではなく、実を言えば、私は「局所麻酔としてのスピリチュアリティ」は大いに使われるべきだと思っています。
ただ、「適切な」使い方とタイミングを知っておく必要があるというだけなのです。
こうしたスピリチュアリティは、適切な方法で、適切な状況に用いれば、十分活用できるものなのです。
例えばこういうことです。
ポジティブなことにフォーカスするテクニックは、ネガティブなスパイラルにハマっている人が自分を引き上げるためには、有効なテクニックです。
スパイラルから抜け出せれば、必要な行動を起こして実際に変化を起こしていくことが出来るからです。
その一方で、ポジティブなことにフォーカスするテクニックは、自分の中にある嫌な感情を感じなくするためのツールや、現実を否認するツールとして使われることがあります。
前者は「局所麻酔としてのスピリチュアリティ」が「適切に」用いられている例で、後者は「不適切に」用いられている例です。
私たちの「気分を良くしてくれる」スピリチュアル的なテクニックや教えは、たとえそれがどんなものであっても、「局所麻酔としてのスピリチュアリティ」となり得ます。
その中で、「局所麻酔としてのスピリチュアリティ」として乱用されやすいものと、比較的そうでないものがあるだけです。
- ポジティブ思考信仰
- 感謝すること
- 宗教やスピリチュアル的な信仰
- 瞑想
- プレゼンス
- 「偶然はあり得ない、すべては必然」と考えてすべてを正当化すること
- この世はすべて「幻想」であるという考え
- 宇宙が良きに計らってくれる
- 現実は変えられない
- 夜明け前が一番暗い
- 私たちはみな「一つ」
- 愛がすべて
- 現実は自分が創る
- すべては聖なる計画による
- 「上」や「ガイド」や「天使」と通信すること
- クリスタル
- エッセンシャル・オイル
- オラクル・カード
- インスピレーションを感じる講話を聴くこと
- アファメーション
- 祈りの言葉
- マントラや儀式
- シャーマニックな植物や薬草
- 各種リトリート
- ワークショップ、セミナーなど
- ヨガ
- エナジーワーク・レイキ
等。
ありとあらゆる「気分が良くなる教え」や「考え方」、目の前の現実を不当に「正当化する」モダリティは、すべて「局所麻酔としてのスピリチュアリティ」となり得るのです。
そしてまた、「適切」なタイミング、状況、方法で用いられれば、「アウェイクニング(覚醒)」を促進するものとなり得る。
普通の人にとって、自分が今用いているスピリチュアリティが、自分を本当の覚醒に導くものなのか、それとも「局所麻酔としてのスピリチュアリティ」なのか、見極めることは簡単なことではありません。
本当のことを言えば、私たち大人の人間は、自分自身で変化を起こすだけの十分な力を兼ねそろえた存在です。
ですが、私たち人間の中に奥深く埋め込まれている「無力感」が、私たちをこうしたスピリチュアリティ・ツールへと駆り立てるのです。
今からお話することは重要なことです。
私たちが「苦痛の中にあるとき」、そこには必ず「局所麻酔としてのスピリチュアリティ」へ逃避するリスクがあるのです。
こうしたことが起こった時、エゴがあなたをハイジャックして、あなたが痛みを感じることから遠ざけ続けます。
※ 訳者注釈 エゴとは第一義的に私たちが痛みを感じることから守るための「防衛機能」です。
スピリチュアル的なツールを有用に使いこなすために、完全に意識的になって「適切な」判断を下せるようになるためには、私たちはすべてのスピリチュアル・プラクティスの「影の部分」を見て、それを受け入れる必要があります。
ここは重要な部分です。
例えば、今目の前に「深刻な経済問題」という苦しみを抱えている人は、お金を工面するためには「藁をもすがる」思いで解決策を探し求めます。
そんなときに、「今すぐあなたの潜在意識書き換えます。3分で一個ブロック解消、豊かさへの切符」と言ったキャッチフレーズに引っ掛かり、なけなしのお金をつぎ込んでサービスを受けるという事態が発生します。
あるいは、自分の中の喪失感に向き合えない人が、「〇〇をすれば復縁できます、効果100%」と言ったキャッチフレーズに踊らされ、それさえ受ければ相手を取り戻せると思い込みます。
本当はただ振られただけなのに、相手と自分は「運命の相手同士」だと思い込むことで、状況を正当化して自分の痛みを感じることから逃げ続けます。
「遊ばれて振られただけ」という現実は痛すぎて直面できないために、「私と彼とは運命」と思い込むことで、痛みから逃げて状況を正当化し続けるのです。
たとえ自分が採用しているスピリチュアリティが何であれ、苦しみの渦中にあるときに、「局所麻酔としてのスピリチュアリティ」のトラップにハマらないように意識の明晰性を保つことは並大抵のことではありません。
意識の明晰性を保つためには、しっかりと地に足をつけている必要があります。
つづく