26Apr

何が正しいのか、この考えは正しいのか、という問いは、あまり意味がないと私は考えます。
なぜなら、そうした価値観は常に相対的なもので、絶対的なものではありえないからです。
参考記事:価値観のパラダイムシフト
数年前にネットで読んだニュースがあります。
ギリシャかイタリアか忘れたのですが、万引きをした浮浪者に対する判決が裁判所から言い渡されたということでした。
この浮浪者は何日も何も食べておらず、店先の食糧を万引きしたのでした。
万引きは悪いこと。いかなる事情があったにせよ、法を犯してはならない。これは言ってみれば「正しい」理屈でしょう。
裁判所の判決は:
生命維持のために犯した窃盗は罪とみなさない、よってこれを罰せず
ということでした。
この場合、この判決や考えは「正しいのか?」と問うことは、ナンセンスというものでしょう。
次元の違う問題です。
あらゆることの正しさやおかしさは、時と場合と事情によってさまざま変化していきます。
絶対的なものではなくて相対的なものです。
だから、これは「正しい考え方か?」という問いには、「そうとも言えるし、そうとは言えない」というのが適切ではないかと思います。
そして、「何が正しいことなのか」を常に意識していると、思考が直線的になり硬直化することは確かだと思います。
柔軟性や発展性が乏しくなる。
Think out of box (既存の考えに囚われずに考える)ができなくなる。
1+1=X という発想ができなくなる。
宇宙は決してリニア(直線的)ではなく、あらゆる要素がフラクタルとして有機的に関わり合いながら存在している場所ですので、3D的な思考回路に傾きすぎると硬直していきます。
新たな時代に入り求めらていることは、既存の考え方にとらわれずに発想の転換を図ることや柔軟性を取り入れること、マインドをオープンにして新たな可能性にチャレンジしていくことだと思います。
それらを実現していくためには、従来の価値観や正しさへのこだわりを手放していく必要があります。