6Feb

アセンションのプロセスにおいて、完全に克服される必要のある「犠牲者意識」(被害者意識)について、Loner Wolf よりソル君が書いてくれた記事をシェアします。
自己犠牲と自己憐憫の感覚はまったりと生ぬるく、エゴにとってとても心地良く感じられます。
ですが、犠牲者であり続ける限り、自分の人生を生きることは出来ないのです。
犠牲者とは、自分の力を自分以外の誰かや何かに明け渡し、その人たちや状況に自分の人生の責任を負ってもらおうという姿勢なのです。
本当の意味でのセルフ・エンパワーメントとは、自分の力をしっかりと自分に取り戻し、自分の人生の責任をしっかりと自分で負うことを決意するところから生まれます。
自分の人生の責任は、他でもない自分自身が負っているのです。
犠牲者意識(被害者意識)に囚われているとき、私たちは妄想という狭い意識レンズを通して現実や他者を知覚し、それで自分の全存在を定義しています。
何かしらの被害にあった、犠牲にあったと認識できることは重要ですが、犠牲者意識から抜け出せない以上、本当の意味で前進することはできません。
※ 訳者注釈:とても重要なところです。過去に起こった出来事で、自分が被害にあったとか犠牲になったと認識することは極めて重要です。それが出来ずに事実を直視できなければ、まず癒しは進んでいきません。しかし、癒しがある程度まで進んだら、自分の力を取り戻し、犠牲者意識を克服する地点がやってきます。いつまでも犠牲者であり続けることは、前進を妨げる障害になります。
犠牲者意識とは何か?
「犠牲者意識」とは、他者からの関心を惹きつけたり自己責任を負うことを回避するために、自分が犠牲者であることをアピールする一種の機能不全意識を表す心理学用語です。
犠牲者意識に苦しむ人は、自分で自分の人生をコントロールできないと感じているばかりか、人生とは自分に危害を加えるものであると認識しています。
こうした意識を持つことの結果として、他者を絶え間なく責めたり指摘したりする態度、そして悲観・恐れ・悲しみに根差した自己憐憫を引き起こします。
簡単に言ってしまえば、犠牲者意識とは、自分が感じている不幸の責任は誰か他の人間や状況のせいであると主張することです。
「自己犠牲化」の仕組み
生まれつき鬱状態だったり不安だったりする人は一人もいないように、生まれつき犠牲者意識を持っている人は一人もいません。
犠牲者意識とは、幼少期においてなされる条件付けとその結果の処世メカニズムによって後天的に発生した性格上の特性なのです。
犠牲者は、幼少期のある時点において犠牲になった経験を持っています。
身体的・感情的・性的虐待などを受けているのです。
また、両親との間の共依存関係を通してや、家族の中で横行している不健全な犠牲者意識の押収を目撃したり観察したりすることでも、自己犠牲化は発生します。
※ 訳者注釈:リサ・ロメノ氏は、アメリカ社会の8割方は機能不全で共依存と発言していますが、私も同意します。人間社会の8割がたは機能不全家庭出身者で、およそ健全な人を探す方が難しいほどです。それが現代社会の実情です。
ですが、子供の頃に起こったことは私たちの力の及ぶところではなかったとしても、大人として自らの力を取り戻し、自分の幸せに対する責任を自分の負うことが、私たちの責任なのです。
犠牲者でい続けることの9つの利点
犠牲者でい続けることには、実は多くの魅力的なメリットがあります。
こうしたメリットがあるために、多くの人は犠牲者意識というマインドセットから自由になることができません。
犠牲者の多くが有害な悪癖を繰り返すことに感情エネルギーを使っているのはそのためです。
そのメリットとは:
- 何の責任も負わなくて済む
- 他者の関心を惹きつけることができる
- 他者が同情してくれる
- 他者から批判されたり攻撃されたりしない
- 「文句を言う権利」を手に入れる
- 自分の望むものを得やすい
- 自分の「ストーリー」(どれほど自分がひどい目にあったか)を語ることにより自己陶酔する
- ドラマが繰り広げられるため刺激的
- 悲しみに浸っていられる間は自分の中に抑圧されている怒りを感じなくて済む(感情のバイパス)
この通り、こうしたことから派生する様々な水面下のパターンがあるのです。
犠牲者でい続けることは、ある意味「パワー」をもたらすのです:
- 責任を負うことを回避する力
- 自分の感じている悲しみと迫害を正当化する力
- 自分の中の不快な感情を感じることを回避する力
- 他者を manipulate(操作・コントロール)する力
つづく